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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2015年03月17日

あれから30数年

久しぶりの投稿なのですが、これも僕のルーツでもある「かみのやま」を思い出したからです。



僕の母の兄、つまり叔父の具合がどうもよくないらしいのです。

母の5歳年上ですから、79歳。

まあ、体のどこかになにかあってもおかしくはない年齢なのでしょう。



それにしても。。。、



僕だって、45歳なんですからね。

そんな自分の年齢も考えると、夏休みや春休みのたびに叔父のもとでいろいろと教わったころから、もう30年以上も時は経過したのかと愕然とします。




この叔父は僕にとっては特別な存在です。



今現在の僕という人間の、さまざまな部分に大きく影響を与えてくれた人です。

僕が読書や渓流釣り、登山が趣味なのは、この叔父にその楽しさ、魅力を多感な少年時代に教わったからです。

男の子がいなかったからなのか、僕をまるで自分の息子のようにかわいがり、夏休みには飯豊や朝日村での渓流釣りや山登りに連れ出してくれました。

叔父はとにかく知的好奇心の旺盛な人で、部屋には古今東西の著名作家の全集や人文科学、自然科学の専門書に交じって、大衆文学や芸能情報誌、山と渓谷や文藝春秋のような総合誌、週刊誌から、手塚治虫のブラックジャックや高倉健のエッセイまでさまざまな書物が散らばっているんです。

古びたオーディオセットの横にはウィーンフィルやN響のオーケストラのレコードにカンツォーネやボサノバ、ロシア民謡、美空ひばりまでレコードもいろいろ。

多忙な銀行員でありながら、これだけの書物をいつ読み、レコードもいつ聞いているのかと不思議に思ったものです。


僕が、1年浪人の末に第一志望の大学に合格した時には「いがったな。米沢牛のすき焼きごっつおすっからな・・・」と両親以上に喜んでくれたものです。




そんな叔父が2月下旬に倒れたとの報がありました。

こんな時、普通ならすぐに駆けつけるべきでしょう。



でも。。。





僕はどうしても倒れた叔父の姿を目にしたくないんです。



どこまでも知的でダンディなあこがれだった叔父が病院のベッドに伏せっているなんてまったく想像できないのです。



僕が社会人になってからは1回だけ、正月に酒席を共にしたことがありましたが、それも10数年以上前です。



もっとあの知的カオスなあの部屋で酒をチビチビやりながら語りたかったな。



どんなに努力しても人の命にエンディングがあることはわかっているけど、やっぱりさみしいものですね。

お酒も飲めず、食べたいものも食べられない叔父に、何かしてあげられることってないのかなと思ってみても、何かしてあげたいのに何もできない自分。



やっぱり顔を見せるのが一番なのかもしれませんね。

  


Posted by らぶやまがた at 23:51Comments(0)

2014年08月22日

遠いからこそ感じるもの

僕が小学生の時の夏休みは、8月になるとすぐにかみのやまの母の実家に一人で行くんです。

上野駅まで母が送ってくれて、特急やまばとに乗りかみのやままで一人旅です。

はじめて一人でかみのやままで行ったのは3年生の夏休みです。

母が僕の隣の座席のビジネスマンに「よろしくお願いします」と頭を下げていた光景を今でも覚えています。

僕は小さいころから物怖じしない性格で、幼稚園のころから一人で見知らぬ街へ散歩に出かけては両親を心配させていたものです。

ビジネスマン氏はやまばとが発車すると、僕を窓側の席へ移してくれて、通路側の席で雑誌を読みふけっていました。

僕は初めての一人旅で、特急に乗っているという高揚感もあって、終始窓にかじりつくように外の景色を眺めていたのです。

途中で車内販売のワゴンが来たときに、隣のサラリーマン氏が「POMジュース」を買ってくれました。

僕は「ありがとうとございます」と言って少しぬるいPOMジュースを飲みました。

あのころ、車内販売でのオレンジジュースといえば少し酸っぱいPOMジュースでした。

PETボトルなんてまだありませんし、缶も容量は細長い250mlで、車内販売のワゴンには、コカコーラとPOMジュース、それに発売したばかりのポカリスエットがあったと記憶しています。

お茶は今のように冷えたペットボトルというものはなくて、ポリエチレン製の持ち手のついたあのお茶容器にティーバックが入っていて、注文のたびにお湯を入れてくれてました。

その時の車内での食事は母のおにぎりでしたが、米沢駅の牛肉弁当のおいしさは今でも忘れられません。

「やまばと」は特急といっても上野からかみのやままで、当時は所要時間で4時間以上かかります。

かみのやまは小学生の僕にとっては遠くてなかなか行けないところと感じていましたから、夏休みや春休みにやまばとに乗って向かうときは何か特別な高揚感を感じたものです。

今は新幹線で2時間半ほどですね。

時間的に近くなったのはそれはそれで結構なことですが、僕には妙な寂しさを感じます。

子供のころの記憶というのは案外鮮明に覚えているもので、子どものころのかみのやまでの思い出というのは、今でも僕にとって冬の軒先の陽だまりのような何とも言えないあたたかな思い出ばかりです。  


Posted by らぶやまがた at 22:09Comments(0)

2013年12月27日

青菜漬けとおみ漬けとともに



かみのやまの従兄弟からうれしい宅急便です。

僕の大好きな漬物各種にリンゴと生そば。

炊き立てのどまんなかとかつやひめといっしょに・・・

明太子とか梅干しとか
人それぞれ炊き立てのご飯のお供っていろいろあると思うんですけど、
僕はこの青菜漬ですね

やまがたの漬物やそばですから、
初孫か米鶴をと酒屋に行きましたが、
山形のお酒は置いてありませんでした。

出羽桜の大吟醸とか十四代は置いてあっても、
やまがたのずんつぁんが晩酌で飲むような
フツーのお酒はなかなか手に入りません。

そのフツーのお酒で僕が好きなのは米鶴や初孫の普通酒。

いいんです、普通酒で。

お手頃価格でおいしく飲めればそれでいいんです。

僕には吟醸酒なんて甘くてジュースみたいでそうたくさん飲めませんね。

神奈川ではなかなかお目にかかれない「一声」とか「霞城寿」なんかも飲んでみたいなあ。

飯豊の若乃井酒造の普通酒、銘柄が記憶にないんだけど、あれもなかなかだったな。
  


Posted by らぶやまがた at 17:50Comments(0)

2013年07月25日

さみしいですね。

先日、サラヤのサイダーという記事で書き散らしてみましたが、そのサラヤのサイダーの後継を製造されていた、東北ビバレッジさんが民事再生を申請されたというニュースを知りました。

僕はやまがたに住んでいるわけではないので、ここ最近、東北ビバレッジさんの商品を日ごろ愛飲しているというわけではありませんが、子供のころ、「サラヤのサイダー」のあの夏の象徴ともいうべき薄い青のガラス瓶に入ったサイダーを、瓶から直接飲む爽快感をいまだ忘れられないこともあり、このニュースをとても平常心では受け止められませんでした。

時代は瞬く間に過ぎ去っていく、そんなことは言われなくてもわかっていますし、昔を懐かしむ話題なんて自己満足でしかないと思うこともあります。

それでも・・・

大好きなやまがたの街並み、人のこころが変わっていくことにとてつもないさみしさを思えてならないのです。

人のこころはそう簡単には変わらないと思いますが、僕だけでしょうかね?街並みも人のなりも変わったように感じるのは。


むつこい(かわいそう)
ばんげおそくまですかってねぐて・・・(夜遅くまで起きていないで・・・)
このやろこ!(この悪坊主!)
ばんげなにかせだらいんべが?(夜ご飯、何を食べさせようか?)
なしてほやんばい!(どうしてそうなんだ?)
ちゃっちゃどゆさへえれ(さっさとお風呂に入りなさい)


僕が小学生のころ、明治生まれの祖母がよく口にしていた山形弁です

僕が大好きだった母方の祖母。

山形市内の某寺に眠っています。

明治生まれの人の山形弁って、現代の山形弁と微妙に違うそうですね。

僕にとっての山形弁のルーツはこの母方の祖母と伴淳三郎さんですね。

伴淳

あの、伴淳さんが歌う「おしどりミルクケーキ」のCMソング。

「お~らがぁ~、ふ~るさ~ど~、や~まが~だ~の~♪」

もう、このCMのことを知っている人も、山形に住んでいる人でも少ないんだろうな。

伴淳さんは他にいない独特のおとぼけキャラが幼い僕にも強烈な印象を与える俳優さんだったなあ。





  


Posted by らぶやまがた at 23:21Comments(1)

2013年06月28日

山形交通(現ユトリロ?)バスのおもひで

以前山形交通のバスのことにチラッと触れましたが、僕は小学生のころ、ヤマコーのバスが大好きでした。

住んでいる神奈川のバスにはないたくさんの魅力を感じたのです。

「バスにも特急とか急行とかあるのか???」

今でも自他ともに認める鉄道オタクである僕は山形のバスには特急とか急行、快速まであるんだと感動しました。

母の実家のかみのやま市内のバス停、「弁天」から父の実家の最寄りのバス停の「千歳公園待合所」まで、バスに良く乗ったものです。

バス停には「特急・急行・普通」と書かれた停留所があり、「ここは特急も急行も止まるのか・・・」なんて思ったものです。

特急米沢、特急長井、特急新庄なんかのバスには観光バス風の座席シート配列のバスで子供心にも「特急バスに乗ってみたい」と思ったものです。

はじめて「高松葉山温泉」まで特急米沢行に乗ったときのことも今でも覚えています。

いつもの普通バスの高松葉山温泉行なら停車するはずの停留所を、待っている人がいるのに颯爽と通過した時には不思議な感動を覚えたものです。


驚いたのが特急なのに特急料金はいらないことを知ったとき。

国鉄(現JR)は特急や急行には特急料金、急行料金が必要なのは当たり前ですから、山形交通のバスも特急や急行には別の料金が必要だと思っていました。

あと、バスのサイドボディーの乗降口の横あたりにやまがたにちなんだ愛称がついていましたよね。

特急に使う観光バス風のだと、
「やまびこ、はぐろ、やまなみ、おおとり、みちのく」

山形市内の循環バスなんかでよく見たのは「ブロ~ン」って独特のエンジン音が印象的な
「ちとせ」

他に、
「ちょうかい、もがみ、べにばな、ざおう、はやま」

父の古いアルバムの写真にはボンネット型の「ぎんれい」なんてのも写っていて「カッコいいな」と思ったものです。

他に知っているのがあったら教えてください(笑)


あのころは主要なところには山形交通の立派な待合所が必ずあって係りの人に小さな冊子タイプの時刻表なんかもらって、大人になったらバスでやまがた中を旅してみたいと思ったものです。

でも、その後の鉄道ダイヤの整備と、車の普及によるものでしょうか?

山形交通はユトリロと名前を変えて、バス網もかなり縮小、今は特急バスなんてないんですね。  


Posted by らぶやまがた at 09:38Comments(0)